お勧め本3
「坂の上の雲」
司馬遼太郎 著
文春文庫
この本はだれだか著名人が選ぶ20世紀に残したい小説第一位になったらしい。私はどうもそう言う本は嫌いでほとんど読んでいないのだが、この小説はすばらしい。日露戦争を扱ったもので主人公は日本騎兵の草分け、秋山好古と、日本海海戦の参謀、秋山真之の兄弟、それに真之の友人、俳人の正岡子規である。
前半部分は明治の青春群像と言う感じで、真之と子規やその仲間達の学生時代が描かれている。なんといっても、彼等は大望を持っているのが良い。この時代、何でもやったもん勝ちで一番になれる。みんな末は博士か大臣か、と思っているし1)、頑張れば本当にその分野の第一人者になれる。なかなか目が出ない私等にとっては羨ましい限りの時代である。国は貧しいし、欧米列強の侵略を恐れて軍事関係に国家予算のかなりの部分をつぎ込んだ非常につらい時代だが、ある意味ですごく明るい時代だったかも知れない。
後半は日露戦争の話でほとんど戦記ものと言って良いくらい緻密に描かれている2)。中でも有名な旅順要塞攻防戦は最も印象的な戦いである。何が印象的かと言えば、乃木将軍とその参謀長伊地知幸介の凄まじいばかりの無能と頑迷である。コンクリート城壁に大砲、鉄条網、機関銃で防備された鉄壁の要塞に兵士を肉弾突撃させて死体の山を築く。それも1回や2回ではない、懲りずに何度でも同じことをくり返すのである。無能な上司をもった部下は哀れである3)。なにより、いかんのは参謀長伊地知幸介の頑迷である。この人は、何か一つのことを考えるとそれが固定観念になって、2度と考え直すことはない、という人で、その上、部下の進言には耳を貸さず握りつぶすと言う人である。臨機応変とか柔軟な考え方とはほぼ対極にある4)。この人の固陋な作戦のために一体どれだけの人が死んだか。乃木将軍にしても、(統帥のみをまかされ作戦は参謀長任せだったとはいえ、)無能だったことは間違いないだろう(ただし、人間的にはすごく良い人だったらしいが)。結局、この当時、日本陸軍の作戦をすべて担当した満州軍総参謀長児玉源太郎大将が指揮権を握ることによって、旅順を攻略することが出来たのだった。
余談になるが、乃木将軍をまつった乃木神社は東京にあって非常に有名である。しかし、乃木軍の無能を救った児玉源太郎将軍をまつった児玉神社が江ノ島にあることはあまり知られていない。私もつい先日知ったのだが、そのとき話題になったのが、乃木神社と児玉神社とどっちが御利益があるだろうか?と言うことである。最初は、有能だった児玉源太郎をまつった児玉神社に決まっている、という意見が優勢だった。しかし、最後には、児玉源太郎は物凄く優秀な人で実績も残したから神社になっても当然だが、無能で実績もなく、それでいて有名になった乃木将軍をまつった乃木神社のほうがずっと御利益は大きい、で友人と意見が一致したのだった。
さて、この小説を読んでいてひとつ面白いのは、もし、自分や友人がこの時代に生きていたら、どうだっただろうかを想像してみることである。もちろん、無名の市民で終わった可能性は高いが、この小説の登場人物のうち、なんかしらの意味で似ている人に自分を当てはめてみると面白い5)。私の場合は、参謀本部次長長岡外史である。この人物は生涯、有能か無能かだれにも分からなかった人物だが、東京湾の沿岸防備のためにあった28センチ砲を旅順に送ると言う、破天荒なアイデアを実現した人でもある。(コンクリートで固めてある要塞砲を野戦に使うなんていうだれも考えなかったアイデアを思い付いたのは砲術の専門家有坂将軍であるが、そういうアイデアが好きな人だった。)ただ、かなり軽率な人で失敗も多かったらしい。日露戦争終盤にはロシアの領土(樺太)をかすめ取ろうと、ただでさえ戦力が不足している満州野戦軍から戦力を引き抜き、児玉源太郎に叱られたりしている。そういう、軽率でおっちょこちょいなところもあった人だが、頑迷で固定観念に凝り固まった伊地知幸介とは全く反対の人であり、私の好きな人物である。
いずれにせよ、この小説は人間が一生懸命生きていた時代(あるいは生きられた時代)を描いていておすすめである。
1) なにせ、今と違って、このころは大学を出ただけで学士様といわれた時代である。
2) 実を言えば、私は戦記ものが好きなのである。小中学生の頃は戦車(これはドイツ軍に限る)や軍艦(これはほとんど日本海軍)のプラモを良く作った。
3) あっ、別に特にだれかを意識していってるわけじゃないですよ(^_^;、って...。学生諸君も就職すると分かるかもしれない。分からん方が幸せだが...
4) こういう例があるから、私は信念とか根性とか言う人が嫌いである。だいたい、信念なんて言うのは思考停止以外の何ものでもないと思う。
5) 友人の H. I. や H. F. なんかはきっと旅順の最前線で苦労する前線指揮官だろうなぁ。
お勧め本