20030507国療富山病院看護
Ø なぜ「結は」成り立たなくなったのか(先週の続き)
Ø なぜ、人間は、社会を形成するのか
² 人間は一人では、自分の生活に必要なもの(生活資源)すべてをまかなえない
² その不足分をまかなうために、複数の人間と関係をもたざるを得ない → 社会の成立
² 不足分のまかない方にパターンがある = 社会のあり方にもパターンがある
² 「結」は、そのまかない方の一パターン
Ø 社会が存続する条件=互酬性
² 与えたものと受け取ったものが等しい。誰かが与えっぱなしだったり、受け取りっぱなしだったりすると、人間関係が破綻する
Ø 「結」が成り立つ条件=人口の同質性と定住性
² 同質性
l 同じもの(行為)によって互酬性が成り立つ
Ø ビデオのシーン
² 結願いのシーン:トタン屋根の家の人「20年くらい前は、しょっちゅう頼まれたんですけど。ここ10年くらい前からは、トタン屋根の家にはほとんど頼まれないことが多いですね」
² 定住性
l 長い期間を通して互酬性が成り立つ。
l 長い間、村に留まり、自分の屋根ふきを手伝ってくれる可能性があるから、他人の屋根ふきを手伝う
Ø ビデオのシーン
² 長瀬家の屋根ふきは、80年ぶり
Ø 「結」の崩壊
² 「結」が崩壊する条件=人口の移動性の増大
l 同質性の崩壊
Ø 別の場所で生まれライフスタイルの違う人が隣り合って住む
l 定住性の崩壊
Ø 一つの場所に留まる時間が短くなる
Ø ↓
l 短い期間のうちに違うもので互酬性が成り立つ仕組みの必要性
Ø 「貨幣と市場」という仕組みが生まれる
Ø 都市化
Ø 移動性の増大:農村から都市に向かう人びとの増大
² 都市では、「結」のような相互扶助ではなく、「貨幣と市場」という仕組みが支配的
Ø 日本の都市化の統計(藤田・吉原 1999: 24-5)
Ø 特に、高度成長期(主に1960年代)に都市化が進展
Ø 用語
² 市部人口=市の行政区分内の人口
² 人口集中地区(Densely Inhabited District=DID)=実質的な市街地
l 1953-6年の市町村合併(昭和の大合併)のため、行政市と都市的地域の乖離がはなはだしくなる。 (1)原則として人口4000人/平方キロ以上になる国勢調査の調査区が、(2)隣接して合計5000人を超える地域をDIDとして指定。
l
国勢調査の調査区は,原則として1調査区におおむね50世帯が含まれるように設定され,その数は約94万である。
Ø 1920年国勢調査
² 市部人口18.0%、郡部人口82.0%、市部面積0.4%
² 人口集中地区(DID)人口30.2%
Ø 2000年国勢調査
² 市部人口78.7%、郡部人口21.3%、
² 人口集中地区(DID)人口65.2%
Ø 都市化の要因
Ø (1)戦後初期の農村の人口過剰
² 次三男の肩身の狭さ
l 戦争により都市部の産業が壊滅的な打撃を受け、人びとは、農村で暮らさざるを得なかった
l 戦争が終了し、大量の復員兵が日本に戻ってきた
l 戦後のベビーブームで、全体の人口も増えていた
l 農村に大量の人が流れ込んだが、農地は増えず、生産力は変わらない
Ø 終戦を前後して農村に戻った人びとは、農繁期の手伝いや雑仕事をすることはあっても、仕事らしい仕事を見出すことは困難だった
l 家を継ぐ長男はよいが、次三男は、穀潰しというような感じで、肩身が狭かった
Ø (2)高度成長期における産業構造の転換による都市部での雇用創出
² 高度成長
l 1955〜73年の時期、特に、1960年代
l 1960年代を通じ、経済成長率は年率10%台を維持し、68年にはGNPがアメリカに次ぐ自由世界第二位
Ø 1956年『経済白書』:「もはや戦後ではない」
Ø 1960年池田勇人内閣「所得倍増計画」:1970年までの10年間に国民総生産を倍増させることを目標として年平均成長率を7.2%に設定し、積極的な財政金融政策による社会資本(高速道路、新幹線、空港など)の拡充と大企業中心の投資配分計画、労働力流動化の促進、人的能力開発のための技術教育の推進に重点が置かれた。
² 産業構造の転換
l 農業から、重工業やサービス業へ
Ø 第一次産業人口の割合
² 1950年、日本の就業者の2人に1人は「農民」だった
² 1955年41.0%→1960年32.6%→1965年24.6%
Ø 農業人口
² 1955年1489万人→1965年1086万人→1970年927万人
Ø (3)都会へのあこがれ
² 都市と農村の生活格差(農村──陰、都市──光)
l 都会に出て農村にあか抜けて帰ってきた人たちが、自分の成功物語や、都会の様子を語る
² 1960年頃の村の生活
l 資料・「1960年頃の村」(鈴木・中道 1997: 138-142)
² 都市と農村の比較
l 就職
Ø 農村:次三男の就職難
Ø 都市:新しい産業による人手不足
l 労働
Ø 農家:虫に食われながら炎天下で体力を使う作業、自然のリズムが絶対であり、盆暮れもない状態
Ø サラリーマン:ビルの中でのデスクワーク、日曜日は休み
l 収入
Ø 農家:不安定、上層の農家(2ヘクタール以上)でもサラリーマンでは中の下
Ø サラリーマン:安定、年に10%以上の賃上げ、退職金・福利施設・有給休暇・補償制度もない
l 女性
Ø 農家:農作業をした上で家事育児をしなければならない
Ø サラリーマン:主婦になれば労働が免除され家電製品で家事が省力化
Ø 大都市への人口流入の一例──集団就職
Ø 農村の新規中卒者による集団就職
² 資料・「集団就職の入京を伝える1959年3月23日付の読売新聞」(吉川 1997: 109)
l 労働省は、新規中卒者を、高度成長を推進する「金の卵」と呼ぶ
l 集団就職自体は、1954年からあるが、国鉄と日本交通公社が協力して集団就職列車を走らせたのは、1962年
Ø 集団就職後の人生
² 就職先
l 男子:住み込み店員、零細工場での単純労務工、女子:繊維女工
² 資料・「図6 上沼中学(宮城県)集団就職者の10年」吉川 1997: 114-5)
l 長男以外
Ø 長男は、家と農地を継ぐ
l 高い離職率
Ø 頻繁に転職を繰り返す
Ø 1964年、従業員10〜99人規模の企業だと、2年間経つと、平均して2人に1人は、勤め先を辞める計算
l 厳しい生活
Ø 多くは、中小企業に就職し、大都会の片隅で仕事や生活への不満を押し殺すようにして毎日の生活を送っていた
l 早婚
Ø 特に、女性は、ほとんど25歳までに結婚している
Ø 郊外の新興住宅地の形成
Ø 都市に流入してきた人たちは、どこに暮らしたのか?
² 会社の寮や商店に住み込み → 木賃アパート → 公団の賃貸団地 → 分譲建売住宅
Ø 木賃アパート
² 6畳一間の部屋からなる木造民営アパート
l 1968年の東京、住宅の38%が木賃アパート
Ø 公団の賃貸住宅
² あこがれの団地生活(三浦1999)
l 資料・「団地・アパート・ニュータウン」(三浦 1999: 18-21)
Ø 歌「団地・アパート・ニュータウン」
l 団地は、「木賃アパート」に住む人びとの羨望の的
l アメリカ的な生活様式が目指されている。それを象徴するのが、テレビなどの家電製品
² 日本住宅公団(現在の都市基盤整備公団)
l 1955年(昭和30)に設立され、大都市とその周辺に勤労者向けのいわゆる団地住宅を建設し、供給・管理してきた。
l 資料・「日本住宅公団による賃貸住宅建設戸数」(三浦 1999: 23)
l 2DKタイプの団地を大量に造る
Ø 「団地族」1958年に『週刊朝日』造語
Ø 「カギっ子」1963年頃流行
Ø 分譲建売住宅
² 戦前
l 鉄道会社による宅地開発の最初は、有馬箕面電氣軌道(現阪急電鉄)
l 沿線に小ぎれいな郊外住宅地の開発を始め、空気も悪く騒音もある過密な都心からの脱出を勧める
² 戦後
l 大都市圏への流入人口が急激なだけに、宅地価格は急上昇を始め、宅地開発はうま味のある仕事になる
l スプロールと乱開発の問題
Ø 上下水道の未整備、取り付け道路の未整備による交通渋滞、学校・公園・ゴミ処理場などの公益施設の整備にともなう自治体の負担増、崖崩れなど危険地区での宅地開発
Ø 参考文献
Ø
藤田弘夫・吉原直樹編,
1999, 『都市社会学』 有斐閣ブックス.
Ø 鈴木正仁・中道實編, 1997, 『高度成長の社会学』 世界思想社
Ø 吉川洋, 1997, 『高度成長──日本を変えた6000日』 読売新聞社.
Ø 三浦展, 1999, 『「家族」と「幸福」の戦後史──郊外の夢と現実』 講談社現代新書