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産業用繊維の分析についての一考察

松井隆幸 

T.はじめに

 わが国の産業論・経営学・経済地理学など社会科学の諸分野,さらに人文地理学など人文科学の分野においても,繊維産業の研究蓄積は膨大である。戦前から高度成長期前半にかけてわが国の経済成長を牽引したこと、その後貿易摩擦や途上国の追い上げ,生産機能の海外移転を真っ先に経験してきたこと,各地に「産地」が形成され,地域社会やその文化と密接な関係をもつことなどが理由として考えられる。
 筆者はこれらの研究を批判するつもりは全くない。ただ指摘したいのは,これらの研究の大半が衣料用繊維についてのものであり,日本を含む先進国でその比重を年々高めている,産業用繊維など非衣料用繊維に触れたものが少ない点である1。非衣料用繊維産業の多くは,衣料用繊維と強い技術連関を持ちつつも,それと異なる様々な特徴を持ち,衣料用繊維産業の分析視角をそのまま適用することはできない。本稿は,産業用繊維に社会科学,とくに産業論の視点2から接近する視角を提示しようと試みたものである。
 ここで「産業用繊維」とは,繊維製品のうち衣料用,家庭用(ふとんなど),インテリア用を除いたものであり,工業製品の部材となるものや生産現場で使われるもの,土木・建築・医療・農業などの分野で用いるものである3。なお自動車など交通機関の内装は通常「インテリア用」に分類されるが,以下でみるように産業用繊維と共通する要素が多いため,考察の対象に加えたい。


U.産業用分野の重要性

 それでは,日本の繊維産業はこれまでどのように分析されてきたのだろうか。最も包括的で近年の状況を踏まえた伊丹(2001)の分析をみてみよう。
 同書は日本の繊維産業の国際競争力が弱体化した要因を分析したものであるが,主な要因として,@縫製をはじめとして労働集約的な工程が多く,途上国との競争にさらされやすいこと A企業規模が小さく,工程間分業が複雑すぎること Bアパレル部門4でデザイン能力の蓄積が不足し,極端な国内市場指向であること C主役の合成繊維メーカーが,繊維で形成した技術などの経営資源を繊維に再投下しないこと D輸出自主規制を契機とする政治依存体質 などをあげている。衣料用繊維については,筆者はこの分析に全面的に同意する。
 同書はまた産業用繊維にも触れ,「産業用資材に求められるのは強度,耐薬品性,耐腐食性といった素材そのものの持つ性能と,ユーザー企業の目的・用途にあわせた細かな改質・改良の可能性,そして品質・納期の厳格性である」5と,衣料用と異なる特徴を持つことを指摘している。
 そして化学繊維を中心に産業用の比率が上昇していることも指摘している。しかし,全体として描かれる特徴は衣料用繊維のそれである。むしろ産業用繊維は,合繊メーカーが蓄積した経営資源を衣料用繊維に「再投下せずに」振り向けている対象として位置づけられている。
 日本政策投資銀行(2003)では日本の様々な製造業を,国際競争力が強いか弱いか,生産が国内に存続するか海外に移転するか,の二軸でグループ化している。そして繊維産業は,もっとも国際競争力が弱く,海外移転が進んでいる産業として位置づけられている6。一方で同書は,東アジア諸国との比較で「産業繊維ベースでは需要者サイドの要望に対する技術的対応力の観点から,需要サイドの産業の技術水準が高い日本が結果的に上位に立つ」7(つまり比較的競争力が高く国内存続)とも指摘している。
 上の両書は,きわめて包括的で信頼性の高い分析であると同時に,日本の繊維産業分析の最大公約数でもある。すなわち現状では,繊維産業といえば衣料用というのが共通認識なのであろう。では,各用途向けの量的な比重はどうなっているのであろうか。
 図−1に示すように,日本の繊維産業は一貫して縮小傾向にあるが,なかでも衣料用繊維のそれは著しく,構成比でみても(残念ながら天然繊維を含めたデータは得られないが81997年の40.8%から2002年には28.5%と激減している。なおここでは,前述のように,交通機関の内装が「家庭・インテリア」に含まれることに注意する必要がある。
 もっとも図のように,産業用繊維も量的には横ばいである。これは重布や網綱類のように縮小しているものと,不織布のように近年にいたるまで成長してきたものが混在しているからである(図−2)。
 表−1は使用される素材を示すものであるが,衣料用ではほとんど使用されないポリプロピレン,ガラス繊維(フェルトの「その他」の大半),ビニロンなどが多用されていることが注目できる。国際競争力も様々である。表−2に示すように,衣料用繊維製品は圧倒的な入超であるのに対し,非衣料はそれほどでもなく(残念ながら「産業用」に限定したデータはない),不織布のようにいまだ出超のものもある。
 「産業用」とは衣料(アパレル)・インテリア・家庭用品を除くありとあらゆる産業向けを指すため,ひとまとめに特徴を語ることは困難である。その一分野である不織布9にしても,医療用品・衛材・自動車・OA機器・建築・土木など数え切れない分野で使用されており,一括して論じることはできない10
 それでは産業用繊維は用途ごとに個別に論じるほかないのであろうか。筆者はある程度体系的に論じることも可能であると考える。そこでV~Xでは産業用繊維を整理・概観し,既存の研究との接合を図る視点について検討したい。

 

V.衣料用繊維からの類推の危険性

 産業用繊維は多様であるとはいえ,共通する点がある。衣料用繊維から産業の特徴を類推することが危険であり、「繊維産業の特徴」として我々が認識している固定観念を払拭する必要があることである11。その特徴とは,以下のようなものである。

  
定番品では労働コストが決定的であり,途上国での大量生産が有利である。

   差別化を行なう急所はデザイン、ブランドであり,手本はイタリアである。    川中部門が産地を形成する。
   細かい工程間分業が進展している。
   それを調整する取引形態である委託生産方式12が,分析の鍵である。

 競争力を決めるのが労動コストとデザイン・ブランド力であり,それぞれを拠り所とする中国製品とイタリア製品が国際市場を席巻している,というのは衣料用繊維のおおまかな鳥瞰図としては間違っていないであろう。一方産業用繊維の生産はこの両国でもさかんではあるが,米国・日本・ドイツなども得意分野を持つし,内需対応型の性格が強い。
 産業用繊維の競争力を決めるのは,伊丹(2001)や日本政策投資銀行(2003)も指摘するとおり,強度・軽さ・耐熱・難燃・防水・耐薬品などの機能性である。またユーザー企業の要求に応じた技術開発や改良,変種変量生産やジャストインタイムの納入も求められる。衣料用繊維ほど生産の海外移転が進まないのは,ユーザー企業との技術的連携やジャストインタイムの要請のためであると考えられる。ただしユーザー企業自身が海外移転する場合,産業用繊維も移転するケースがある13
 前述した交通機関の内装は,実はこれらの特徴が最も当てはまる分野の一つである。高速化と低燃費・環境負荷軽減の要請は,軽さと強度の両立という困難な技術的課題をすべての素材に突きつけており,内装も例外ではない。自動車用部材が厳しいジャストインタイムの納品を求められるのも周知の通りである。また耐光やタバコ防融などの機能も重要であり,列車や飛行機ではとりわけ難燃性や燃えた際の有毒ガス発生を押さえるなどの機能が重要である14。一方で内装であるためファッション性も求められる。様々な分野で織物・編物を代替してきた不織布が,一部高級車の天井材に限ってトリコットに代替されつつあるのがそれを示している15
 川中の衣料用繊維の企業が非衣料分野に進出する過程は,それまで糸メーカーや商社に依存していた企画やマーケティングを自ら手がけ、ノウハウを蓄積する過程でもある。もちろん産地内外の既存の企業間関係が活用されることは多いが,取引が継続する必然性はない。
 衣料用繊維の議論は,アパレル市場の動向から始まったり,アパレルを含めて行なわれたりする事が多い。この点について,次の富沢修身の指摘が明解である。「自動車産業をその素材に注目して広義の鉄鋼業とは言わない。両者は明確に区別される。繊維産業では素材生産,組立,販売が広義の繊維産業として一括される。そうしても大きな違和感はないし、議論を展開する上で整合的ですらある」16
 非衣料用の場合は状況が一変する。例えば自動車にはシート・天井材・ゆか材など内装,タイヤコード,フィルター,吸音材など膨大な繊維が使用されているのだが,これを繊維産業の延長線上で議論することはほとんどない。
 産業用繊維を分析する際には,統計の利用にも注意すべき点がある。まず,日本の産業用繊維の重要な要素である炭素繊維とガラス繊維が産業中分類の「繊維工業」ではなく,「窯業・土石製品製造業」に属していることである。また、これらを用いて製造される複合素材(FRP)は「プラスチック製品製造業」に分類されている17 また,やはり重要性の高い不織布とフェルトが小分類にも顔を出さず,小分類「その他繊維工業」の中で細分類「フェルト・不織布製造業」としてひとまとめに扱われている。これでは工業統計表等による分析が困難である18。これらは世界的に需要拡大が予想される分野である(図−3)にもかかわらずである。
 なお日本化学繊維協会は,今後日本で成長が予測される分野として以下の分野をあげている19

@  安全性や新工法を鍵として,新用途を開発するもの(エアバッグなど)
A  環境対応を鍵として,既存素材を代替するもの(アスベスト代替など)
B  高強度。高耐熱性など高性能性を鍵とするもの(アラミド繊維、炭素繊維など)

さらに高性能材料の一つとして,環境への負荷を軽減する生分解性繊維,いわゆる「土に還る繊維」にも期待している。
 また米長(2003)は世界的に需要が増加する分野として,交通機関用,工業用,医療用,自動車・工業用フィルターなどをあげている。また,量は少ないが付加価値の高い分野として防護製品をあげている20。需要増加が期待される分野で,安全性や健康にかかわるものが多いのは偶然ではないだろう。先進国で価格破壊が続くなか,顧客がすすんで対価を払う分野だからである
 不織布は近年に至るまで成長を続けてきた分野(図−4)であるとともに,衣料用繊維からの類推が最も当てはまりにくい分野である。素材からそのままシート(布)が形成されるため,いわゆる川上・川中・川下の議論が当てはまらない。工程が短いため工程間分業が少なく,いわゆる産地も形成されないなどの特徴がある。
 筆者は日本の産業用繊維の将来が楽観的であると主張しているのではない。産業用繊維においても中国製品等の流入は増加しはじめているし,むろん長期不況の影響は大きい。ここでは,衣料用と産業用を「繊維産業」として一括して論じる場合の問題点を指摘しているのみである。

 

W.「繊維」の概念と用途展開

 社会科学において,「繊維」の定義が議論されることはまれである。漠然と「最終的に衣料になるもの」と理解されてきたのではないだろうか。もちろん多くの論者が,そこから派生して非衣料分野が生まれたことは認識している。だが非衣料の比重が拡大した今日では,「繊維」の原点にかえり,衣料用繊維をも相対的に位置づける概念規定が必要である。
 ここでは繊維を「細長くてたわむsingle fiber21 を構成要素とするもの」と定義したい22。通常我々が目にする「糸」は,釣り糸など特殊な場合を除けば一本の繊維であることはまれで,single fiberを紡績や撚糸等によって集めたものである。そして糸の状態を経ずにsingle fiberをシート状に集積・接合させたものが不織布である。
 ここから出発して,繊維製品は様々な機能を持ち,様々な用途に結びつく。それを示したのが図−5である。まずsingle fiberを糸の状態にして,それを織ったり編んだりロープや網状にすることによって,糸の滑りを利用したしなやかで丈夫な製品ができる。それを活用したのが綱網類,カーシート,エアバッグなどである。軽さと強度の両立をさらに追求したものが,繊維と樹脂の複合素材であるFRPである。 また細長いものを集積させた素材は,隙間をたくさん持つ。したがって軽い。軽さと同時に強度やしなやかさが求められるカーシートなどは織物や編物,シート以外の自動車内装や衛材などの基布には不織布が用いられることが多い。また細くて長いことは,光ファイバーでは情報を遠くに伝えるという機能に結びつく。
 隙間がたくさんあるということは,同時に表面積が大きいということであり,これらの性質からろ過を目的とするフィルター,ふき取りを目的とするワイパー(工業用、業務用など)に多用される。
 中でも不織布は細かい繊維を糸の状態を経ずに集積させるため,より隙間が細かく表面積が大きい。さらに工程が短く生産性が高いため,価格面でも短寿命の製品に対応できる。このためフィルターやワイパー,衛生上の理由から使い捨てが多いのに機能性が求められる医療用品では不織布による織物・編物の代替が進んでいる。ちなみに,いわゆる「食物繊維」も一種のワイパーとしての機能を求められているので図に加えた。
 またフィルターとは,何かを通して何かを通さないことであるから,保温通気,防水透湿などの役割を果たすことも可能である。図−5で示すように,@しなやかで丈夫 A軽い B保温通気などのフィルター機能 を併せ持つものが衣料用繊維と位置付けることができる。不織布はしなやかさに難があるため,現状では衣料用の生地にはほとんど用いられていない。
 このように,衣料製品は繊維の持つ様々な機能の結実したものであるが,そのすべてではなく,あくまで繊維製品の一部分である。逆に産業用繊維は,個別の機能のどれかが強化されている場合が多い。このような機能のつながりから,Xでみるように衣料用繊維の技術を応用して,あるいは他産業の技術と結合することによって,産業用繊維への事業展開が行われることが多い。
 衣料は上の@の要請などから生産工程が長く,人の体に合わせた複雑な形状を持つため,縫製工程で人手を要する23。またデザイン,ファッション性,ブランド力が重要である。そのため中国とイタリアの競争力が際立っているが,産業用の用途ではそのような必然性はないはずである。

 

X.技術連関と事業展開

 これまでみてきたように,衣料用繊維と産業用繊維は別個の分野であり,様々な点で異なっている。しかし両者は強い技術連関を持ち,衣料用繊維を主力事業としていた企業が,新事業展開の一環として産業用繊維に進出しているケースがきわめて多い。
 さて,経営学の分野で,企業の新事業展開24や主力事業の変遷を扱った研究は多く,繊維企業を対象としたものもある25。これらの研究は本稿にとってきわめて有益であり,技術を鍵に繊維産業の鳥瞰図を描く助けになる。
 図−6は衣料用繊維・産業用繊維・非繊維分野の技術連関を例示したものである。衣料製品ができるには,繊維の材料を合成する工程(ここでは合成繊維を想定している),合成した物質を細く長くする紡糸,および紡績・撚糸などによって繊維を糸の形に集積させる工程(いわゆる川上),織り・編みなどを通じて布を作り,それを染色加工する工程(川中),裁断・縫製などにより最終製品を作る工程(川下)がある。そして各々の技術が,産業用繊維や非繊維製品に応用されている。

 まず原料合成の技術からは,樹脂.フィルム・接着剤など様々な化学製品が生まれている。「非繊維」分野への展開である。量的にはここが最大であろう。もっとも「非衣料」と「非繊維」を区別するのは観察する側の視点であり,企業にとっては等しく将来を賭けての新事業である。アセテート繊維使用のタバコフィルターは,繊維を糸以外の用途に用いたものである。
 糸を作る技術は,光ファイバー26,浄水器などのフィルターに用いられる中空糸,そしてアラミド繊維・炭素繊維27・ガラス繊維などに応用されている。これらと樹脂との複合材料がFRPである。
 不織布はシート形成方法から直紡・乾式・湿式に分けられるが,それぞれ長繊維紡糸,衣料用芯地(これも不織布である),製紙の技術との関連が深い。また超極細繊維を用いた不織布に樹脂を含侵させたものが人工皮革28であり,自然保護の潮流の中で需要増加が予想されている。
 レーヨンやアセテートなどの再生繊維は,生産性で合成繊維に劣るため,戦後衣料用繊維の主役から後退したのだが,それらを用いた産業用繊維もある。最も歴史の古い化学繊維の一つであるキュプラ29を不織布に応用した製品30は,きわめてふき取り機能に優れ,医療用ガーゼやクリーンルーム用ワイパーで大きなシェアを占めている。またアセテートは,タバコ用フィルターの素材の中で喫味に優れているという。これらは多くの企業が撤退するなかで生産が続けられていた素材であり,いわゆる「残存者利益」をさらに発展させ,新製品に結びつけた事例である。
 合成繊維のなかでも,当初期待されながら衣料用繊維に適性のなかったビニロンとポリプロピレンが,産業用で多用されているのが興味深い。前者はセメントとの接着性,耐アルカリ性をいかしたアスベスト代替材や,樹脂親和性をいかしたゴム補強材に用いられている。後者は軽さ,耐薬品性,疎水性などをいかして,主として不織布の形で,包装材や紙おむつなどに使用されている。
 川中段階でも産業用分野への進出がさかんになってきている31が,高強度加工と表面改質という二つの技術を応用しているものが多い。前者は高密度織りを活用したエアバッグ・シートベルト・防護製品・スポーツ用品(パラグライダーなど),土木・建築用繊維,FRP向け織物などである。
 後者は素材に様々な機能を付与した,カーシート(起毛,耐光,タバコ防融などの機能),防電磁波材,人工血管,介護用品(抗菌、滑り止めなどの機能)等であり,染色加工企業の手による場合が多い。川中は糸を受け取って加工してきたので「非繊維」への展開は少ないが,表面加工技術から派生した防臭剤や特殊塗料の例がある。

 

Y.事業展開のケーススタディ

非衣料展開の先駆者である福井県企業A社の事例は,本稿V~Xの要素をすべて含んでいるので取り上げたい。
 A社は絹の精錬・染色に始まりレーヨン・ナイロン・ポリエステルの染色を手がけてきたが,徐々に非衣料分野への事業展開を進めるとともに委託加工依存を脱して企画・販売を手がけるようになり,現在ではカーシートなど非衣料分野が主力事業となっている。ここでは近年の好業績に貢献したエアバッグと電磁波シールド材を中心にみていきたい32
 エアバッグにとって重要なのは強度だが,そのために低通気性が求められる。当初はクロロプレンゴムによって表面をコーティングしていたが,これは厚く重い。そこでシリコンゴムに切り替え,糸も徐々に細い糸に切り替えて軽量化しいった。いった。さらに高密度織りによって,コーティングなしでも十分な強度を持たせることが可能になった。エアバッグ装着は数年前までは運転席のみのものが多かったが,現在では助手席,高級車ではさらにカーテンバッグやニーバッグなどの装着が増えつつあり,需要が拡大している。
 電磁波シールド材は糸に金属メッキをほどこした一種の複合素材であり,しなやかで強く軽いという繊維の特徴と,導電・電磁波シールドといった金属の特徴を併せ持っている。糸にはそのままでは金属が付着しにくいので,もともとは衣料用繊維の風合い向上のための技術である減量加工をほどこして,糸の表面をザラザラにしておく。また通常のメッキ方法では生産性が低いため,染色加工のノウハウをいかして広い面積にメッキをする方法を開発した33。製品形態には織物・編物・不織布・メッシュ(網戸構造のもの)などがあり,用途に応じて使い分けられている。 従来はエプロンやカーテンタイプのものが中心だったが,1995年ごろから新用途が続々と開発され,生産量が急増している。例えばウレタンフォームを電磁波防止材で巻いたものが,PCの基盤の間に挟まれてアース機能を果たすグランディング材に用いられるようになった。従来は金属のばねが使われていたが,不安定で基盤を傷つけやすいという欠点があった。
 ケーブルに巻く使用法も拡大している。繊維なので,従来用いられていた金属箔よりも柔軟である。また,メッシュ構造のものは画像を邪魔せずにプラズマディスプレイの電磁波を防ぐことができ,PDMテレビの増加とともに需要拡大が期待されている。
 上記の二つの事業展開は,@衣料用繊維の技術・ノウハウを応用して,あるいは他分野の技術と結合して新事業に結びつける A軽さと強度の両立,表面改質がキーテクノロジーである B安全性への貢献がニーズを生む など,これまでみてきた産業用分野進出の典型的な特徴を備えている。

 

Z.まとめ

 現代では,産業用繊維は本稿Uでみたようにその比重を増しており,繊維産業の重要な構成要素である。本稿ではそれを分析する視角について検討してきた。
 まずVでみたように,衣料用繊維からの類推でそれをとらえることは危険であり,産業用繊維としての特徴,そして産業用繊維各分野の特徴を慎重に見極める必要がある。また統計上も「繊維工業」という分類に注目するだけでは不十分であり,様々な形でこれを補完しなければならない。
 様々な産業用繊維と衣料用繊維との関連を示す,一つの方法を示したのがWである。それは「細長くたわむもの」という繊維の定義の原点にたち帰り,そこから導き出される様々な機能によって製品を位置づけるものである。全体としてみると,衣料用繊維は繊維の持つ様々な機能の集大成であり,産業用繊維は個々の機能を強化したものであることが多い。この関係はXでみる衣料用繊維と産業用繊維の技術連関の根拠でもある。また,製品の持つ物理的・化学的性質と様々な社会科学的事象とを関連付けて分析する産業論の手法とも合致する。
 そしてXでみてきたように,多くの産業用繊維は衣料用繊維を主力事業とする企業の新事業展開の結果として生まれたものである。もとになった衣料用繊維の工程・技術と産業用繊維との結びつきを描き,企業の事業展開を扱った経営学の研究成果と結びつけることによって,既存の研究をいかすことができる。
 日本化学繊維協会(2002)では,「繊維産業を,その素材,形態および機能を直接的に応用する製品(織物・反物・アパレル)の業界でくくるのではなく,繊維産業がこれまで培ってきた基礎技術を応用する製品をすべてくくる新しい「繊維系産業」を定義する必要がある」34と述べられているが,これは本稿の問題意識と合致している。
 むろん本稿はおおまかな方向性を示したのみであり,具体的な分析の多くは今後の課題である。最後に,筆者の調査に協力して頂き,様々な示唆を頂いた企業,大学,メディア,日本化学繊維協会,日本不織布協会の方々に深くお礼を申し上げたい。



1.   これに対し自然科学の分野では非衣料用繊維の研究もさかんであり,本宮(1999)など一般向けの書籍も多数出版されている。
2.   ここで産業論の視点とは,「産業単位で観察される技術,製品の物理的・化学的性質,具体的な生産活動に焦点を当て,それらと企業組織・取引形態・立地・国際競争力など社会科学的諸側面との関連を分析する視点」としたい。この定義は山ア(1999)第1章第2節から示唆を受けてまとめた。
3.   工業用のみを「産業用」と呼ぶことがあるなど,文献によってその範囲に違いはあるが,ここでは基本的に『繊維ハンドブック』の分類に従うことにする。
4.  本稿の「衣料」は,ここでの「アパレル」と全く同義である。
5.   伊丹(2001)p55
6.   日本政策投資銀行(2003)p37
7.同上書,p89
8.1998年までは『繊維ハンドブック』等で天然繊維を含めたデータが公表されているが,衣料用が絶対的・相対的に減少している傾向は同じである。
9.日本の不織布もかつては衣料用の芯地が中心であったが,現在では約3%を占めるのみである。
10.ちなみに「フェルト」も現在では建築用断熱材を中心に,機械用などに広く展開しており,「手芸用」の通念は変える必要がある。
11.  本宮(2001)では,繊維を衣料用のみと思っている人は「テントが繊維からできていることはわかっていても、後楽園の東京ドームの屋根が繊維(ガラス繊維,括弧内筆者補足)からできていることは知らない」「新合繊は繊維からできていることを知っていても、光ファイバーは繊維とは別の世界のように思っている」と指摘されている(同書,p68)。衣料から離れるほど,「繊維」を想起しにくいということであろう。
12. メーカーや商社が川中業者に糸を渡し,「工賃」を支払って加工を委託する方式である。成長期には川中にとって在庫リスクを負わないという利点もあるが,消費者情報と距離があるため,企画やデザインのノウハウが蓄積されにくいといわれる。
13.  自動車生産の海外移転に伴う自動車用不織布生産の移転について,拙稿(2003)p149を参照。
14.20032月の韓国・地下鉄火災の際,同国の難燃基準の低さが問題となったことを想起されたい。
15.『繊維ニュース』20043318面。
16.富沢(1998)p114
17.『日本標準産業分類』より。また極細繊維素材と樹脂の複合素材である人工皮革は「プラスチック製品製造業」、それを用いた製品は「ゴム製品製造業」「なめし皮・同製品・毛皮製造業」などに分散して扱われている。
18.不織布の詳細なデータについては,日本不織布協会『不織布関係資料集』各年版を参照のこと。
19.日本化学繊維協会提供資料「産業資材用繊維の現状」より。
 ハイテク繊維の展開については本宮(1999)を参照。高強度・耐熱などの機能性素材は日本が国際的に強みを持っているが,その用途は主として産業用分野である(『繊維ニュース』(機能性素材特集号)2004227日)。
20.米長(2003)。
21.あえて訳せば「単繊維」だが,あまり浸透している用語ではないし,「短繊維」とまぎらわしいので英単語のまま用いた。
22.自然科学の立場からの概念規定の検討については,本宮(1999)pp26-35を参照。
23.島精機製作所の開発した無縫製ニットウェア製造機は,この「宿命」を克服した革新的な技術である。
24. 「多角化」という用語が用いられることも多いが,ここでは使用しない。「事業の数を増やす」ことだと誤解されるうるからである。企業の事業展開は新事業に参入するのみではなく,不採算事業からの撤退も含まれるので,必ずしも事業の数が増える訳ではない。
25. 梅沢(1985),栗山(1996),當間(1996)などである。
26. プラスチック製光ファイバーは合成繊維原料の重合,そして溶融したものに形を与えて固める賦型と呼ばれる技術が応用されている。
27. 炭素繊維の開発については,當間(1996)を参照のこと。
28.人工皮革の開発の一例として,栗山(1996)p90を参照のこと。人工皮革には衣料用のものもあるが,近年は非衣料分野に傾斜しつつある(『繊維ニュース』20031217日、45面)。
29.綿花のうぶ毛部分であるコットンリンターを溶融・紡糸した繊維であり,従来は高級裏地などに用いられてきた。
30.梅沢(1985)pp85-86。その後同製品は衛材などから撤退し,得意用途に絞って「居場所を明確にした」ことによって差別化に成功している(『繊維ニュース』200425日,5面)。
31.拙稿(2002)は,北陸企業においてそれを分析したものである。
32.以下は20031119日に行なった聞き取り調査にもとづく。
33.開発担当者によると,このノウハウは「ローテクの極致」だという。同社で糸メーカーに対抗して製品開発ができるのは,染色工程で蓄積された様々なローテク・ノウハウとハイテクとの結合によるところが大きいという。
34.同書、p3



参考文献
伊丹敬之『日本の繊維産業−なぜ,これほど弱くなってしまったのか−』NTT出版,2001年。
梅沢昌太郎『旭化成−ひらめきと執念の多角化戦略−』評言社,1985年。
栗山盛彦「日本企業の新規事業形成戦略−東レの事業形成と国際技術連鎖−」(愛知学院大)『経営学研究』5-21996年。
繊維学会『繊維便覧』丸善、1994年。
富沢修身『構造調整の産業分析』創風社、1998年。
當間克雄「新素材の開発プロセス―東レにおける炭素繊維開発のケース―」(神戸商科大学)『商大論集』48-31996
日本化学繊維協会「アジア地域における合成繊維の非衣料分野の需要開拓動向調査報告書」20023月。
日本政策投資銀行『日本製造業復活の戦略』ジェトロ、2003年。
産地技術伝承研究会『長繊維織物の製織と染色加工』福井県ファッション産業振興基金協会、2000年。
本宮達也『ハイテク繊維の世界』2001年。
山ア朗『産業集積と立地分析』大明堂,1999年。
米長粲「産業資材用テキスタイルの市場動向と展望」『繊維月報』200310月。
拙稿「北陸繊維産業の非衣料分野への進出とその方向性」『富大経済論集』48-12002年。
拙稿「日本の不織布産業」『富大経済論集』49-12003年。