富山大学 人文学部 教育研究分野
フランス言語文化研究室

教員紹介

中島淑恵(なかじま としえ)

私が最初にフランスに興味を持ったのは、小学生の時、怪盗ルパンシリーズに夢中になったことです。
漫画ではなくて南洋一郎訳の冒険小説です(ルパン三世の「じっちゃん」ですね)。
それから、なんといっても「ベルばら」世代なので、池田理代子の『ベルサイユのばら』に心酔し、もうとにかくフランスに対する憧れが勝手に膨らんでいった子ども時代でした。

高校生になって、世界史が大好きだったのですが、なかでもフランス革命に興味を持ちました。
社会を根底から覆すような革命を実行してしまう国とはすごい、と思ったのです。
それに実はもっと不純な動機もあります。
小学生のころから英語を習っていて、高校生の頃には生意気にも英語はもう極めた、もう一つ別の言語をやりたいな、と思っていたのです。
まあ今思えばいやらしい偏差値秀才みたいなものですね。

でも、大学(東京外国語大学)に入ってからちょっとがっかりしました。
フランス語初心者なんて私くらいで、当時の外大には帰国子女からバイリンガル、既修者が山ほどいて、いつまでたっても英語訛りが抜けない私は、ネイティヴの先生からも厄介者扱いだったのです。
そんな時に、外大の先輩でもある高校の恩師に言われた言葉で、もう一度ちゃんと取り組もうと思うようになりました。
恩師は英語の先生だったので、当然英米語学科の専攻だと思っていたのですが、実は戦争中のことで、全員がインドシナ語を勉強させられた、と先生はおっしゃったのです。
戦況が厳しくなると暗号解読、終戦後は英語の翻訳ばかりやらされたと聞きました。
「自分が好きなことを勉強できるよい時代に生まれたのだから一生懸命頑張りなさい」と励まされて、私は変わりました。

あれから長い時間が経ちましたが、あの日の延長線上に今のフランスどっぷりの生活があります。
そして、しばらく忘れかけてさび付いていた英語も、やっておいてよかったな、と今は思っています。
今取り組んでいるラフカディオ・ハーン研究には、フランス語と英語の力が不可欠だからです。
人生に無駄なものなんて何もないんだな、って今は心から思っています。

梅澤礼(うめざわ あや)

私が初めてフランスを訪れたのは、8歳のときでした。
「親に連れられて…」とか「親の仕事の都合で…」とかだったらかっこいいのですが、実際にはデパートのガラガラくじに当たったからです。
バブル期だったためか豪華なツアーで、イタリアやデンマークも周遊しましたが、なかでもとくにフランスにひかれました。
それは、もちろん街並みが美しかったからでもありますが、なによりフランスの人々が、当時あまり見ることがなかったであろう東洋の少女を、まるで自立した一個人であるかのように、敬意を持って、しかしへりくだるのではなく対等に扱ってくれたからでした。

大学に入りフランス語を選択したのは、フランスについてもっと知りたいと思ったからでした。
しかしフランス語を話しているのはフランスだけでないことを知り、8歳のときよりもっと多くのものを見たいと、ベルギーに交換留学をしました。
まったく知らない国で、つたないながらも言語が理解できることで新しい文化に触れられたことは、とても幸せなことでした。
反面、ベルギーというこのヨーロッパの中心地で、各国からの留学生の意識の高さに触れたこと、そして彼らほど語学力も覚悟もないことで味わった恥ずかしさは忘れることができません。
この喜びと挫折が大きな原動力となって、私はその後も学問を続け、いまは大学で教えています。

このように、私がフランスおよびフランス語圏と関わったきっかけは、まったく偶然のもの(ガラガラくじ)でした。
しかしそれを一生の仕事に結びつけることができたのは、「知らないことをもっと知りたい」というわくわく感と、「ほかの国の子供や学生のように自立したい」という思いだったのではないでしょうか。
みなさんとわくわく感を共有し、自立した一個人となるお手伝いができればと思っています。



























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