某大学のある先生から、「この本は面白いよ」と推薦された。本の帯には、量子計算、ゲーデルの不完全性定理や、利己的な遺伝子など、面白そうなキーワードが並んでいる。しかし、本の題名はかなりあやしい。まるで「とんでも本」と言う感じだ。もっとも、著者はれっきとした物理学者で、最近注目を集めている量子コンピューティングの提唱者の一人、David Deutschである。(まぁ、量子コンピューティング自体あやしいと言えないこともないが^^;)
Deutchは量子力学の観測問題に対して多宇宙解釈をとっている。これがどんなものかについてはここでは詳述しない。実際、読んで見て欲しい。さわりだけ簡単に説明すると以下の様になる。量子力学は確率的な法則で、そこで取り扱う波動関数は粒子の存在確率の分布を表している。したがって、通常、波動関数は広がっている。しかし、測定を行なうと、(確率にしたがって)ある結果が得られ、その時、波動関数はその点(測定結果のところ)に収縮する。問題はこの波動関数の収縮が量子力学自身では扱えないことである。ここから測定とは何かという問題が生じる。(有名なSchroedingerの猫とか、Wignerの友人のパラドックス)
多宇宙解釈はこれを一気に解決する理論で、測定する度に宇宙は多数の平行宇宙に枝分かれすると言うものである(得られた測定結果に従って世界は分岐する)。つまり、我々の世界とよく似た世界から、似ても似つかぬ世界まで、世界が多数あるだけでなく、今この瞬間にも恐ろしく多くの世界に分裂しつつあるというのである。なんと言う奇怪な理論だろう!とても真面目な理論とは思えない。しかし、この本を読むと本当にそうかもしれないと思えてくるから不思議である。
この本を読んで印象深いのは、科学理論についての議論である。私は素朴な物理学帝国主義者なので、科学的理論とは測定可能な物理量の間の関係を扱うものであり、説明は科学にとって本質的でないと思っていた。つまり、科学理論を科学理論たらしめているのは測定可能量の予測性であり、説明は人間の利便のための方便に過ぎないと考えていた。
ところが、Deutschは説明こそ科学理論の本質であると説く。実は私が説明を科学理論の本質ではないと考える理由の一つは、そうするといわゆる「とんでも」さんたちの「とんでも」科学を排除しにくくなるからである。Deutschはこの点についてはオッカムの剃刀を持ち出す。これは同じ結果を説明する理論ならより単純で仮定の少ない方が良いという判断基準である。これにより得体の知れない超自然現象や、霊魂、神を持ち出すとんでも科学を取り除く事ができる。この辺りは科学哲学などで議論があるのだろう。
いずれにせよこの本は面白い。久しぶりに(元)物理屋(あるいは物理学帝国主義者)の血が騒いだ^^;。