会員一同、ここに逝去された会員のご功績とご遺徳を偲び、心から感謝の誠を捧げます。
本会主催の慰霊祭について
本会では、長年、本会を支えていただきました正会員のご逝去の際には、これまでは、会の代表者が会葬し弔辞を捧げるなどの礼を尽くしてきました。
しかしながら、近年の家族葬の増加や本会の諸事情などにより、正会員のご逝去の際には原則として、弔電を送らせていただくことで弔意をお伝えすることとしました。
本会といたしましては、例年9月に母校で行います本会年次総会の際に、本会ゆかりの慰霊碑「同学諸友招魂碑」前で慰霊祭を行い、物故会員への感謝の誠を捧げたいと思っております。
令和6年度の慰霊祭は、以下のように行いました。
・開催日…令和6年(2024年)9月22日(日)
・開催場所…富山大学教育学部
・開催時刻…10時〜10時30分
令和5年度の慰霊祭は、「母校源流発足150周年記念式典」に先だって以下のように行いました。
・開催日…令和5年(2023年)9月24日(日)
・開催場所…ホテルグランテラス富山
・開催時刻…8時50分〜 9時20分 (50〜60人規模)
・参加予定(招待者、卒業50年生、卒業25年生、希望会員、役員等)
令和4年度の慰霊祭は、コロナ禍を配慮して、本会年次総会開催日の令和4年9月23日(金)にパレブラン高志会館で行いました。
例年、母校で行っていた慰霊祭ですが、昨今の事情により、場所を変更し、規模を縮小して行いました。
◇過去の慰霊祭の様子
上の一枚目写真の窓の奥に「同学諸友招魂碑」が一部見えています。
■本会の『同学諸友招魂碑』について
〇「本会ゆかりの『同学諸友招魂碑』」…富大の構内にあり、本会毎年開催の慰霊祭会場になっています。
この招魂碑は現在、富山大学人間発達科学部のエントランスホールの向かって右横に設置されています。
歴史をさかのぼりますと、この招魂碑は明治26年10月13日に、本会の前身である富山県師範学校同窓学友会によって、
呉羽山山腹に建立されました。そして、「物故せられた会員諸賢の英魂を弔い友情を記念する」ため「同学諸友招魂碑」と
記銘されたのでした。
以来、例年同窓学友会総会毎に、まず碑前において同窓学友招魂祭を行い、
その際に「亡き友」が唱い捧げられてきたのです。
(この伝統は、今日に至るまで引き継がれてきております)
その後、大正5年に設置場所を西田地方にあった師範学校の西側に移し、さらに、五福に教育学部が設けられる伴い、
昭和29年に五福の大学構内(正門に向かって左側奥に設置)に遷座しました。
そして、昭和30年には招魂碑の横に「同学諸友招魂碑由来記」の碑も建てられたのです。
その後、五福に多くの学部が集中したため、招魂碑と本学部との間に他の建物が多く建つことになり、
学部関係者からも忘れ去られたような存在となりました。
そこで、本学部生等に招魂碑の存在を身近に感じてもらえるよう、平成20年に本学部横の現在地に遷座したのです。
昭和30年に建てられた「同学諸友招魂碑由来記」の碑文には、次のように記されています。
此の碑は初め本会の前身富山県師範学校同窓会第1回総会において 物故せられた会員諸賢の英霊を弔い
友情を記念するために建碑の事が議せられたことに起因する
幸い神通川の上流猪谷碩に良石を得
流水を利用して神通橋畔に運び後呉羽山の陽風光絶佳なる地を相して建立せられたものである
時に明治二六年一〇月其後大正五年旧富山藩学校広徳館跡に在った母校の西田地方移転に伴い
碑も亦その校庭に移し更に昭和三年台石等を改築し環境の風致を整えた
昭和二八年秋母校創立八〇周年を迎え時恰も各教員養成機関も統合され富山大学教育学部として発足し
既に第一回の卒業を見ていたので会名も富山教育学窓会と改称した
よって重ねて碑の遷座が議せられ
翌六月現在の地五福の大学構内へ移転の運びとなった
蓋し明治学制頒布以来身を教育道に捧げた幾多の英霊が永久に鎮まります格好の場を得たものと言われるよう
茲に碑の由来を記した次第である。 昭和三〇年一〇月
☆最近の慰霊祭の様子は、「最近の活動状況」のコーナーをご覧ください。